「生きていますよ〜」

 父が闘病中、自分のお腹がグルグルいっているのを聞いて、お腹を指差してこういいました。
 「時々ここが言うんだ。生きていますよ〜って」

 父のがんは直腸にできたものだったので、腸の切除手術をうけました。
 既往症もいろいろ抱えていた父は、術後思うように回復せず、わずか2週間の間に3度も手術を繰り返しました。

 3度目の手術後、ようやく身体は快方に向かいましたが、父の気持ちは落ち込むばかりでした。

 それでもいつも明るく笑顔で接してくださる病院のスタッフのみなさんのおかげで、少しづつ精神的にも回復し、食事もとれるようになり、腸も元気に動いてくれるようになっていきました。

 そんな再び希望を見いだせた頃に、父が言ったのです。
「ここが、時々言うんだ。生きていますよ〜って」

 きっと病院のベッドでひとり横になっている時、おなかがグルグル動くと生きている実感があったのでしょうね。
あんなに落ち込んでいたのに、手術後の自分をいつの間に受け入れて、こんな前向きな言葉を口にすることが出来るようになっていたんだろうと、びっくりしました。

 そして、とてもうれしかった。

 あれから、自分のお腹がぐるぐるいう度に、父の「生きていますよ〜」を思い出しているわたしです。
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「廊下」

 病院の廊下が、花道に見えたことが2回あります。

 1度目は、長女を出産後、車いすで病室にもどった時。
 2度目は、父が孫娘2人と一緒に、トイレから帰ってくるのを病室の前で迎えた時。

 1度目は初夏の早朝でした。
 廊下の突き当たりにあった病室まで、助産師さんに車いすを押してもらって、「がんばったね!いいお産だったわよ」とほめていただいたのです。
 それがとてもうれしくて、満足感いっぱいで、無機質な病院の廊下がきらきらと輝いて見えたものです。

 2度目は、残暑の厳しい9月の昼下がりでした。
 やはり、病室は廊下の突き当たりにありました。まだまだ強い夏の日差しの差し込む明るい廊下を、父は杖をついて歩きながら、満面の笑顔でもどってきました。

 「おまえは(部屋の)中で待ってるかと思ったら、そこに居た」
 もどってきて父はそういいました。

 その笑顔が、トイレを済ませてすっきりした笑顔なのか、両側に孫娘を従えての喜びがもたらした笑顔なのか、いないと思っていた私が見えたから笑ってくれたのか、孫娘と水入らずのつもりでいたのが、私に見られちゃった事への照れ笑いなのか、それら全てひっくるめての笑顔だったのか、とにかく花道を歩く父の笑顔はとびきり輝いてみえました。

 私の姿が見えたから出た笑顔だったと思いたいけれど… これはちょっと外れかな。
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入れ歯」

 その昔、祖父の入れ歯を洗ったことがありました。

 丸い半透明のケースの中に、祖父の総入れ歯はいつも水につかって入っていました。
 食後も同じケースに戻すのですが、食後はぷかぷかと大小様々の食べカスが浮か
びます。

 「洗っといてくれ」
 と祖父は言うので「うひゃあ〜」と思いながら、ちょっとぬるぬるの“おじい
ちゃんの入れ歯”を洗いました。

 「うひゃあ〜」と思ってしまうのは悪い孫だ、と何か後ろめたい気持ちになったものです。
 それでも何度も洗ううちにカスカスもぬるぬるも少しは慣れて、「うひゃあ〜」が「うへ」「う」「…」とだんだんフェイドアウトしたのですが。

 そして自分が母になり、父が倒れたとき、娘にもおじいちゃんの入れ歯を洗う経験をさせるべきだ、となぜかひらめいてしまいました。

 父の入院中のある日、夕食どきに娘がひとりでお見舞いに行っていました。
 またとないチャンスです。
 病院にいる娘に「おじいちゃんの入れ歯を洗ってあげなさい」と電話で指示を出しました。

 父は、部分入れ歯だったので、総入れ歯よりマシかもしれない。
 いや、そうでもないかな… 何がマシかわかんないな… 

 そうだ、あの時の感想を聞いてないぞ。
 早速娘に「あなた、おじいちゃんの入れ歯洗ったことあったっけ?」と聞いたところ、
「洗ったよ!」と妙にさわやかな返事が返ってきました。

 娘は全く平気だったのか! 
 ちょっと負けたような気になった一瞬でした。
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いろは

にほへ

とちり

ぬるを

わかよ

たれそ

つねな

らむう

ゐのお

くやま

けふこ

えてあ

さきゆ

めみし

ゑひも

せす